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プロデュース48

普通の女の子をアイドルに、ファンの境界線をなくしたAKB48の戦略

日韓アイドルグループIZ*ONE (アイズワン) が誕生した韓国のオーディション番組Mnet”プロデュース48″関連ニュース翻訳

日本の芸能事務所AKS 隣の家の少女をスターに、AKB48でアイドルとファンの境界線をなくし、総選挙で注目を集める

エコノミー朝鮮 2018年9月17日

AKB48の所属事務所AKSは”オタク”の聖地、東京秋葉原から歴史が始まった。現在秋葉原駅から続く大通りには総合ディスカウントショップ ドン・キホーテ秋葉原店がある。

ドン・キホーテ秋葉原店がの他の店舗と異なる点は、外壁にAKB48メンバーの写真が掲げられていること。同店8階にAKB48が常時公演する小劇場がある。

地下アイドルから国民的人気アイドルへ

この小劇場が門を開いた2005年12月、AKB48は日本のサブカルチャーの極一部分を占める”地下アイドル”に過ぎなかった。収容人員250名の劇場で開催したデビュー公演でAKB48のメンバーはたった7名の観客を前に歌い踊った。

翌年2006年、日本最高の芸能プロデューサー秋元康は窪田康志、芝幸太郎と共にAKBの所属事務所となるAKSを設立した。AKSという社名は共同創業者3人のイニシャルからつけた。

グループ名の48もメンバー数が48名だからではなく、創業者のひとり芝幸太郎の苗字を数字化した語呂合わせだった。

AKSは芸能事務所として知られているが、実は”総合人材派遣会社”として登録された法人である。AKB48メンバーはデビュー後、一定期間が経過すると別の芸能事務所と個別契約を結ぶことになる。

秋元康は”会いに行けるアイドル”をスローガンに掲げた。入場料1000円で2時間の公演が観覧可能で、CDを買えば同封のイベント参加券を利用して、AKB48メンバーに会いに行くことが出来た。

AKB48

このような運営方針は日本の芸能界に大きな衝撃を与えた。AKSはAKB48の名前を掲げたテレビ番組などを制作し昼夜を問わずAKB48の一挙手一投足を伝えた。

「実力や経験が不足しルックスも目立つほどではない”隣の家の少女”が、努力によってスターの道を歩む」というストーリーでAKB48を国民的人気アイドルに育てた。

AKSの戦略はAKB48グループのメンバーを対象にした総選挙制度に拡張した。

姉妹グループまで合わせて300名を超えるAKB48の中では知名度が低いメンバーはメディアの注目を集めるのが難しい。これについてのファンの不満を和らげるためにAKSは”選抜総選挙”を実施した。開票状況を地上波放送で生放送した番組は、衆議院選挙番組の視聴率を上回った。

これによって一流アイドルの証”5大ドーム”制覇、日本レコード大賞受賞、女性アーティスCD売上連続1位など数々の金字塔を打ち立てた。

世代交代と拡大戦略の失敗

しかしAKSはAKB48の人気メンバーの卒業後「世代交代に失敗した」と評されている。

AKSは大阪を中心に活動する”NMB48″、名古屋の”SKE48″、福岡の”HKT48″など日本各地にAKB48の姉妹グループを誕生させ”ローカルアイドル戦略”を展開した。

このようなAKSの過度な拡大攻勢にファンは疲労感をあらわにした。

CD1枚当たり1票の投票権が与えられる総選挙は、一部のマニア層が数千枚のCDを購入するという事態に広がり、ついには処置に困ったCDをを無断投棄し摘発されるという事件まで引き起こし、AKB48は”少数のオタクのアイドル”に転落した。

AKSは日本でAKB48ブランドが通用しなくなるという危機を迎えた。AKB48在籍時は人気の高かったメンバーもグループを離れると不振に陥った。

AKSはインドネシア、中国、台湾などで姉妹グループを結成する海外進出戦略を展開したが、事実上失敗した。上海を拠点に活動する”SNH48″は現地運営会社の契約違反で破綻、台湾の”TPE48″も規模を縮小した。

「無理な拡大戦略とアベノミクスによる日本の景気回復がAKSにとっては危機」という分析がある。

経済学者の田中秀臣上智大学教授は著書”AKB48の終焉”(2013年)で「AKB48はデフレーションに強いビジネスモデル。景気回復後、消費活動が多様化すると沈没する可能性がある」と予想した。

K-POPが日本の芸能化に刺激

現在、日本の音楽市場の人気は韓流アイドルだ。日本では”海外アーティスト”に分類されるK-POPグループのコンサートは高額なチケットにもかかわらず売り切れが続いている。

世界的に人気を集めるTWICEと防弾少年団 (BTS)の活躍は日本の芸能界に大きな刺激を与えている。

防弾少年団

アイドルを夢見る日本の青少年がK-POPダンススクールに足を運んでいる。TWICEの日本人メンバーをはじめ、JBJのケンタ、NCTのユウタらは、自国ではなく韓国アイドルとしてのデビューを選択した日本人。

このような状況でAKSは韓国のCJ ENMと手を結び、日韓共同プロジェクト”プロデュース48″に飛び込んだ。プロデュース48はAKB48グループの転機になるかもしれなかった。

世界2位の市場規模がありながら海外進出成功例の少ない日本の音楽業界と、”グローバル韓流”の勢いを本格的に日本に浸透させたい韓国の音楽業界の利害関係が一致した。

AKBとCJ ENMが双方のノウハウを学べるという点も、この共同企画が実現した理由だった。

韓国をはじめ世界の舞台では体系的な育成を通じて実力を持った”完成型アイドル”が主流。しかし日本ではAKB48のようなファンと共に成長するストーリー性を強調する”育成型アイドル”が主流になっている。

AKB48モデルの創始者 秋元康

AKB48の創始者秋元康は放送作家、音楽プロデューサー、作詞家、映画監督など肩書が多彩だ。

高校時代、放送局に送った台本が目に留まり芸能界との縁を結んだ。中央大学在学時から放送作家として活動、頭角を現した。

漫画の主題歌を担当したことがきっかけで長渕剛、小泉今日子ら日本のトップスターの作詞を任された。

作詞家 音楽プロデューサーとしては成功

1985年から女性アイドルグループ”おニャン子クラブ”プロジェクトに参与しプロデューサーとしての地位を固めた。伝説的な歌手美空ひばりの”川の流れのように”は、彼に作詞家として不動の地位をもたらした。

秋元康

彼の人生を賭けたプロジェクト”AKB48″は、これまでの業績を超える富と栄光をもたらした。AKB48と姉妹グループ、ライバルグループ”乃木坂46″”欅坂46″の楽曲の大部分を作詞した。

これまで4000曲余りの曲を作詞、その中の約700曲がAKB48の曲。”学生時代”、”走る列車の車窓の外”、”夕日が沈む風景”のような日常を10代の少年の観点から描き、女性の声で表現することを得意とする。AKB48の歌詞の中の一人称の多くは男性の”僕”。

世界進出が宿願

安倍政権のクールジャパン推進委員会、2020東京オリンピック組織委員理事としても知られている。日本の芸能界を席巻する彼にとって世界進出は宿願だ。

48プロジェクトで日本の7都市とインドネシア、中国、台湾、フィリピンに姉妹グループを設立した。

アジアでほぼ唯一手を出せなかった韓国と、高い壁を実感した世界市場に穴をあけた韓流アイドルに彼の関心が向くことは、ある意味当然な事かもしれない。